OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

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誰も来ない緊張感

昨日のブログに書ききれなかったことがあるから、続き。

1店舗から3店舗くらいまでは自分の想いだけで行けた。

それ以降は、やはり調整というか想いだけでは難しいことがわかってきた。

色んな人といろんな形でやっていく必要がある。

自分のお店なんだけど、自分のいない店をプロデュースするみたいな。

自分ならできないお店をスタッフが繰り広げていく風景が誕生していくことになる。

それはそれは異空間。面白い変化も時にあります。

結果、今のように多種多様なお店作りが可能となり、一緒のお店はないんですね。

もちろん、自分が直接的にやっていたお店とは違うけど、違う楽しみや成功、失敗もあって。それが事業というものなんだなって理解をしている。

そこにはある種の緊張感が自分にはある。

だって自分がいないんですから、何が起こるかわからない。

目の前で起こるわけじゃないから、全てが把握できるわけじゃない。そういうところは自分の特性というかなんというか、任せる能力が高いようだ。

勇気がある、といってもいいかもしれない。一か八か、というと良くないが、結局自分がやれないんだからしょうがない!って思うし。

誰も悪くないというか、最終的に自分が責任を取るしかないから。だから判断もするわけで。

とても難しい緊張感で常にひやひやしています。

【全部だめになったらどうしよう】

っていつも考えてます笑

一方、スタッフは昨日書いたような緊張感が得られない場合もある。

今は1階にあるお店がほとんどなので、視認性もいいし、条件は良いので、全くお客様が来ない緊張感は持てない

ただ家賃は高いから経営者としてはより緊張感がある。

3階のお店だった時は、美味しくないとか、つまらないとか、冷たいとか、サービス悪いとか色んなネガティブを過度に思われてしまったら誰も来ない。

だって3階まで上がるんだから美味しくて楽しくないと。

僕を含めたスタッフも日々ビビっていたし、そんな意識が高かった。

だからたまに出店相談されると、2階がいいよっていう。

家賃も安いし、緊張感を持て集中力も保てる。1階でデコレートする必要もないから(出来ないから)、造作費も削減できる。

その代わりサービスや料理の質を上げたり保ったりの打ち合わせが多かったな。

皆が細かい所を気づくというかそこしか勝機がないというか。

もちろんぶつかり合いも増えるけどそれが仕事。

ぶつかる緊張感に慣れていくのもまた正しい教育かもしれない。

陰で文句を言ったり、言わないしろ態度に出したり、

何の意味もないストレスをためるよりは、はっきり議論をする。

それは仕事だから。その仕事を選んだんだから、やる。

今は現場から外れている碧は、人とトラブルが多かった(書いたら怒られそう)

本人がまじめというか、しっかりしているから、許せないことがあるんですよね。

シェフ石丸とは日々やり合っていたし、武田ともやり合う、他のシェフとセットにしても一定のやり合いは日常だった。

ただ、その緊張感は今思えば、よかったと思っている。

ドライなわけではなく、仕事に対して温かいから。

ある種の緊張感をもって仕事をしつつ、仲間を敬い、尊重する。

現にお店は流行っていたし、整っていたような気がする。

人に言うっていうことは、自分も言われる緊張感があるからかもしれない。

決まり事を作るってことをしていたわけじゃなくて、むしろ、カスタマイズだらけ。

だから毎日遅くまで話は尽きなかったかもね。

今みたいに働き方は整ってなかった笑、すいません。

そのおかげで分かり合える時間は多かった。

向き合う勇気や覚悟。

そこには僕にも今、もっと必要だし、現代の働き方の中でそんな関係を作っていくにはどうしたらよいのか。

なかなか難しいだろうから、死ぬほど考えていかないと絶対できないだろう。

だからもっともっと考えていこうって思う