イタリアワールドカップの初戦、アルゼンチンとカメルーンの戦いのキックオフ前。
マラドーナがセンターサークルに向かっていくと、ボールをリフティング。しかも途中から肩でリフティングをしていた。右と左と。
同じくイタリアワールドカップの決勝トーナメント。イングランドのプラットが後ろからのボールを華麗にボレーシュートを決めた。ガスコインもブルドーザーのように活躍。あの頃からプラットの17番が好きで自分の背番号は17番になった。
そんなワールドカップの終わったサッカー部の仲間は、皆ワールドカップの物まねが流行っていた。結局、スポーツの世界でも物まねが全てだった。
飲食だってなんだって、パクってなんぼ。それがなくては始まらない。
僕もすべてがパクリといってもおかしくない。それが少し早くて【先人】とか言われたこともあったが、パクリには変わらない。
ただ、パクって成功するとか失敗するとかは、人それぞれ。結局それからだから、
それから真似られるように努力して悩んで自分の体と他の人がやることが違うことに気づき、自分ならどうしたらできるのかを考える。
そうしてマラドーナに近づこうとする。
飲食でも、とにかくパクって【真似て】いく。ただ、場所も人も仲間も経験も何もかも違う。パクったって出来ないんですよ。【頑張らなきゃ】難しいことはある程度理解できているはず。【頑張り切らなきゃ】パクれないのだよね。やはり。
頑張り方は今の世の中色々ある。昔のように時間をかけなくても可能性はある。世界中の情報が手の中にあるから。そこで問題は自分がそういうパクリ努力をしているということをアカラサマにわかることが少なくなって気がする。
昔だったら、行ったり来たり、聞いたり書いたり。なんだかわかりやすいコトばかりだった。今は実は勉強している人、実は知っていることが大人。が増えたような。
かっこいいなって思いつつ、ちょっとつまんない。
結果だけを知る感じもあり、もっと過程を感じれたら嬉しいのにとか。これは僕の勝手なんだけど。にじみ出ちゃう【頑張り】とか【苦しみ】とかが愛おしく見える。自分が知らない海外で短い期間でも過ごした人は、行くまでも行ってからも孤独だし大変だ。店出すのもそうだけど、また違う事だからね。先日、座談会した経営者もイタリア修行した人。僕と同じように海外研修をさせていたが、おなじようなことを言っていた。行ってトラブってきて欲しい、みたいな話。
行けない、行かない人がほとんどだし、店も出せない、出さない、続かない人がほとんど。だから苦しみを分かりやすく【味わい】【逃げてない】感じって伝わる。
伝わり辛かったり、時に不器用でも、やっぱりわかっちゃう【頑張り】がなんだかいい人に見えてきたり。
もう少しいろんなことを時間かけて判断したり、改めてどんな人になりたいのかとか、考える時間が増えそうだな。
同じようなお店が増えればなくなっていくけど、人で成り立ってきた飲食は人で生き返ったりする。20年間の失敗はいつかの成功だった。
それが自分なのか、仲間の成功につながったのか。
どちらでも活かせているならば最高の成功だと思う。分かりやすく真似してもらい、すぐ超えていかれてもニヤニヤして嬉しくなる人でいたいな。
まずは今からの人生もパクパクパクろ。ちゃんと。