【胸を張って協同広告卒業生です】といいたい。
いつかそんなことを僕は言っていた。今でもその気持ちは変わりません。
今、思えば僕なんかを温かく育ててくれた先輩方がいたからだなって思う。
パッと思い浮かぶことといえばミスをした時ですね。
僕が新聞広告担当した時。写真を間違えて掲載してしまいました。。。
当時はデータ入稿とかではないので、写真を管理、ネガを管理し、媒体にコピーして渡すような仕事がありました。多分今はないだろう。
それを渡し間違えたんですね、簡単に言うと。
掲載された写真が違った。。。最悪です。、。。
上司である俊明さんと一緒にクライアントに謝りに行ってもらいました。もちろん怒られました。
ちょうどその頃は3年目。ちょっと仕事に慣れてきて一人で営業にもいけて、提案もして、調子こき始めたときかもしれません。
ちょうどそんな時期だったので、当然というか、起こるべくして起こったミスでした。
帰り道、黙っていた上司が言ってくれたことが今でも忘れられない。
【片寄さ。俺らは謝るためにいるようなもんだから】
【ミスをするってことはさ、仕事しているってことだから】
多分いつかのブログにも書いたことがある気がする。いやーその時は救われたキモチ。
独立してからはその気持ちが手に取るように分かるようになった。
仕事をはじめて、慣れてきてチャレンジしてかないとミスは起きなくなるんですよね。出来ることばかりやっていてはミスがないのです。ミスを恐れずに一人で営業活動をしてみたり、クライアントにアタックしていくからこそ光が見える。
そのためにどうしてもこぼれ落ちてしまうようにミスがあるだろう。ある意味しょうがないじゃないか。チャレンジしているなら、いくらでも謝るからさ。
そんなお気持ちで僕に伝えてくれたということだった。
今でもこのことはとても覚えているし、ココロに止めている一つ。
沢山書きたいことがあるんですが、今思い出したのは、若くして亡くなってしまった修さん。
同じ部ではありませんでしたが、2つ隣の部署で必ず残業していたので、いつも残っているときはお話に来てくれた。
当時はまだまだタバコ社会だし、皆デスクにもお酒を隠していた。飲みながらタバコを吸いながら夜は仕事を皆さんしていました。
僕がデスクにいると。修さんはタバコ吸いながら【どうですか。片寄さん】とニヤニヤしながら近寄ってきます。ま、たぶん一人でやってるから、心配してくれたんだと思う。からかいながら相談に乗ってくれたり、息抜きさせてくれたり。
飲みにつれていってくれたり。直属の上司でないからこそ、何だか気楽でワイワイ出来たこともあったような気がします。
みんなに優しくて愛情いっぱいの修さんが好きでしたが、いきなり亡くなってしまった。あんなに泣きわめいてしまった葬式は今でもあまりないかもしれない。
まるで手のひらから砂が落ちていくかのように、修さんが居なくなってしまった喪失感。なんだか不思議な気持ちでした。
今、もし修さんが生きていたらすごい褒めてくれそう笑
今日ふと思い出せたこと、このブログを書いていたからだと思う。これをきっかけにちょっと先輩方に会いたくなってきたな。先輩なんだけど、僕が生意気すぎて友達や仲間みたいな方ばかり。性格が優しい方が多かったのかな。
またみんなでバカ話させてもらいたい、一番下っ端で。
20周年にも来てくれないかなー。
誘ってみよう。
写真は全然関係ない、独立2年目の余興。
ミスタービックの曲を歌うために「ミセスビック」というバンドを作った時。
隠れて急いでお互いが化粧して向き合ったら大爆笑していた階段で。
僕はほぼ母親の顔になり、シェフ中田は大阪のおばちゃんになっていた。
当時からそんな人でした。