右膝がかなりきつい状況なので自宅で可能な仕事をしている。
今日もずっとそんな感じなのだが、ノンフィクションテレビを見ていて考えさせられた。スナックや小料理屋をやっているおばあちゃんやお姉さんの物語。
そこでの人間模様がトピックスとしては上がっている。それはいわゆるテレビ番組的なのだが、お母さんが話していて内容がなかなかでした。
何でお店をやっているんですか?とか、何が大事ですか?
みたいなことを聞いていたことへの答えをつらつら話している中での一言。
【美味しいお店なんていくらでもあるじゃない?】
【私は会話だよ、お店に来て対話する場所を作っているんだよ】
そんなことを言っていたんだよね。
美味しいお店なんていくらでもある。なかなかショッキングな内容だが、確かにそうだ。いいかえればまずいお店は少ないかもしれない。
特別美味しいお店を作らなければ、あとはそこまで変わらないかも。
そして、お店に来る理由というのが一人で来る人は会話であるのはわかる。複数できても、そうであるという。結局、仲間同士で話しやすい空気の店であり、マスターやお客様同士でも話やすい状況。
そんな空間であることが誇らしいという。考え深い。
どうしても味や品数、クオリティに目が行くのが飲食だが、そうでないと言い切れる人がいるということ。
結局、飲食のパワーは無限というか。飲むことでも食べることでも、話すことでも成り立つということか。それらすべてがあったら最強ってことか。
スタッフにより、この辺りは浮き沈みがあるんだと思う。でも、沈んでもまた這い上がれる内容だと思う。慣れてなくて出来ない事でも、努力すれば必ずできることばかり。
飲食とはそういうチャンスが転がっている職業だと思う。
そういえば、いつだかサッカーのスーパースターであるメッシが言ってたな。
【努力は報われるって思っているの?そんなわけないじゃん】
【報われるまで努力をするんだよ】
なんか、全世界中のすべての人間に伝えたい内容だよね。自分もそう思うし。
サラリーマンを辞める時、同じこと思っていた。
【うまくいくの?やめて大丈夫なの?】
って数えきれない人に言われた28歳。
【退社して大丈夫かはわかりません。でも、大丈夫にします】
って言ってた。
お店を出してうまくいくかなんて先にはわからない。
出してよかったことになるまで頑張ればいい。それだけだよね。
完璧な判断が出来る人なんていない。判断があっているように努力をするだけ。
あの番組のお母さんが言っていたコトバ。
会話を大事にしていて、会話を生む場所を提供するって覚悟。
それが私のお店だって言い切り、それが正しいということになっている空間が確かにそこにあるってこと。
それが人生だし、お店をやるってことだね。
写真は、2年目の送別会でのライブ。このころはいつもライブやっていた。これは1階にあったやきとん新橋店長とコラボして、やきとん営業中の癖に送別会に参加笑
31歳くらいかな。なんだかやってることやオーバーオールが変わらない笑