OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

フェス画像

家族会後の父からの幸せという言葉

先日、家族でランチする会が行われた。父は富士にいるのでそこまで頻繁には会えてない。何度か、このブログでも僕の家族環境については書いたことがあると思う。

幼年期に両親の離婚があり、3度目の母になった町子さん。もう30年くらいになるんじゃないかな。

他愛もない会話なのだが、僕らにとっては長年かけて出来た家族のカタチ。

今でこそ、家庭環境について話せるが40年近く前などはそうでもなかった。どうしていいのか。どう対応していいのか、比較対象もなく。ただ流されるがまま。

感情もついてこない状況もあったのかなと思う。

高1くらいから父とは暮らしてはいないが、当時は手紙やら電話などでつないでいたのかな。言葉を連ねる、声で伝えるという大切さはその期間に学んでいたのかもしれない。

昨年、父が終活に近い形で知り合いを呼び集めて数回会合をしていた。

全て豪徳寺のお店だった。

思えば、父の友人とは会ったことがなかったし、父の兄弟姉妹にもほとんど面識がなかった。父の兄弟姉妹とは2011年くらいにほぼ初めて話した記憶がある。

今、こうして自分のお店が出来て父の絵が飾られ、父が仲間や家族を連れて食事をするということを見ることが出来るという奇跡。

んー、もしかしたら、これを書いていても。あまり伝わらない感情かもしれない。家族団らんというものが欠如した幼年期。そこから、新しい家族構成への対応をしてきた中学から高校。そこには「対応する」という生活が一番しっくり来ていて、「作業」に近いものがあった気がする。

だからこそ、今こうしてそれぞれが生きていて、会える状況というのが大きな成果だと思う。誰か一人でも「会いたくない」と思うような感情であれば。成立していない。

父から子供である我々までがしっかりと気を使える環境。こういうと家族っぽくないかもしれないけど、親子であると同時に一人ずつの人格尊重をしている家族だと思う。

それは離れていたこともあり、それぞれが歩んだ人生が全く違うからかもしれない。

人生は1回。豪徳寺を歩いていて、沢山の幸せそうな家族を見るとたまに昔を思い出す。羨ましくなったりする。でもその家族にも別の課題もあるだろう。

結局、満足できるかどうかはその時ではなくて、過ぎ去った後にしかわからないのかもね。

家族会が終わり、父から来たLINEには感謝の言葉と共に「幸せだった」と書いてあった。幸せという言葉を聞いたことがあったかな。

幸せだと感じていなかったわけではないだろうが、改めて書くというのが印象的だった。

今の僕たちが、「幸せ」と感じる家族であるならば、今までの全ての過程がその準備期間であったといえば、良いのだと思う。

83歳の父が幸せだと感じているということが全てだ。