OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

フェス画像

祖父の話 続編

祖父の話を続けてみようかな。

焼き場に行き、最後のお別れの時に一度お別れした棺にちょっと待った!がかかった。

おばあちゃんだった。

「もう一度顔が見たい」

再度、おじいちゃんが出てきて、おばあちゃんが沢山お話していた。

「ありがとうございました」

「幸せでした」

「ゆっくり休んでください」

など、その姿は何だか止まって見えるというか、不謹慎だけどずっと見ていたい美しい光景だったように、今の僕の頭の中で美化されている。

その横で、実母は土下座をしていた。

「ご迷惑をおかけしました」「ありがとうございました」

離婚をしたり、色々と尾ひれはひれの諸問題への反省みたいなものが爆発していたのかもしれない。なんとも異様な光景だったと思う。

他の人から見たらね。でも僕らには、良かったなというか、祖父への感謝が爆発している姿は、僕らの家族の象徴というか、そうやってトラブルが起きて来たけど、いつか収まるんだというか、皆で戦った証拠なのかなって今は思う。

話は逆になるが、お葬式の時。

棺に入れるものを色々とセレクトしたり、持って行ったりするじゃないですか。

その一つに日本の国旗があった。

そこには沢山の寄せ書きがあった。

おじいちゃんは特攻隊になる予定だったが、最後の最後で別の任務を命令され、残ることになったのだ。でも、出発前には大盛り上がりの飲み会みたいなものがあったようだし、覚悟はしていたようだ。

その時にみんなから託された国旗がこの写真。

何とも戦争というものが本当にあったんだって、日本にも。

それを胸に刻んだ瞬間というか。沢山の仲間が飛んで死んでいった話をしてくれたこともあった。おじいちゃんは、生きて残ってくれて、僕ら家族のトップとしていてくれた。

もし、この寄せ書き通りに終わっていたら、死んでいたら僕らはいないわけで、運なのか何なのか。人生はいろんなものに導かれているのだろうと予感させる。

時代によって、僕ら人々は自分の意思ではどうにもならないようなことが起きる。そして何かに属しているからこそ、何かに従うところもあり。

身近ではない戦争というものが、世界では起こっていて、のほほんと暮らしている自分が不思議になる。井の中の蛙というが、蛙のままであれば幸せと感じる部分もあるだろう。それが今の自分なのかな。

人から見たら躍動感ある自分でも、やっぱりそうでもない。

世界に飛び立つ、いろんな世界を知る。

そのチャンスがあるのに、目の前のことで頭がいっぱい。それではダメなんだなって思う。だって、今、自分の意思で何でもできるんだから。

おじいちゃんと今、話したいな。

何を教えてくれるのか。今の僕に。

何も言わないのかもしれないな。

「たけひろくんは、社員を大事にしているの?」

しか言わないかもね。

特攻隊になるはずだった祖父の国旗