OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

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センチな気分

先日、オケイ初代シェフ中田洋平とLINEをしていた。

長野県に移住している彼は現在、オーベルジュを建設中。

またそこの話は追って告知しますね。

「新店舗、もうそろそろですね。頑張ってください」

そういった内容だった。

彼は僕のスーパースターなんです。

世界で一番優しくて力強い。最も尊敬する人間。

彼のことを考えると不思議とこうしてブログを書いているだけでも泣けてきます。

人にバレないように書くのが精一杯。

2004年に中田と出会い、2005年の終わりに独立した自分。

今でも同志としてこころにずっとずっといる人。

okeiというのは僕の「雄啓」たけひろの音読みがあだ名だったことからついた店の名前。今では独り歩きしている。

僕の会社名はokey。

okeiはyohei中田洋平に支えてもらって生きているから、そういう会社の名前にしました。今ではそのYはスタッフのことを意味していると自分で解釈している。

この話はすべての社員が理解しているわけではない。

伝えていたとしても心に刻まれるような形では伝えていないかもしれないが、会社名を書くたびに中田を思い出している。

元気かな?オーベルジュ楽しみだなとか、色々。

何年も前に二人で飲んでいるとき。

彼も独立し、東京・高輪台でトラットリアナカタ店主として大繁盛していた。

僕は彼が抜けた後に多店舗展開を踏切り、今に至る。

彼は実直なタイプで、僕はゆるめ。

二人で営業しているときも全く違う二人が作る空間だったから楽しかったのかもしれない。ちなみに今も豪徳寺シェフの石丸は中田の同級生。

中田の結婚式二次会をオケイで行った時に、はじめて会い、今に至る。

そんな中田から、20周年の年にもともと独立したビルの跡地に出店お祝いのLINEをもらえて嬉しかった。

中田とずっと過ごした有信ビルは綺麗な大きなビルに変わった。

新しい店を作るわけだが、そこには昔話が出来るように絵が色々と置いてある。当然中田がいたこともわかるというか。

全ての人に伝えたいとかではなく、自分が生きているという印というか。

今まで働いてきた人たちの魂は中田からスタートしたわけで。

そこから今までいろんなことがありましたが、継続出来ているということが全てで。

そこにいるということが、全てというか。

そこにいて、問題が起きたりトラブルがあっても、存在はしっかりあるから。

ひとまず平日は毎日ビストロオケイヤという新店舗で過ごし、土日を他店舗を回ることになりそうだ。

楽しみでしょうがない。

トラットリアナカタの何周年かの時。