中田洋平から彼が作った野菜が沢山届いた。
彼は2005年にオケイに就職してくれた、オープニングスタッフ、オープニングシェフ。
4年半シェフを務めて、箱根のホテル料理人を経て、白金高輪台にトラットリアナカタをオープン。11年だったかな、大繁盛店としてやっていましたが、かねてから農業へのトライをしたかった中田。4年前に長野・佐久に移住し、農家への道。
現在は、オーベルジュ開業への準備をしながら、長野・小川村でサンチという期間限定・予約制のレストランをオープンした。
Santi 信州小川村イタリア料理レストラン(@santi.nakata) • I
と、知っている人からしたら「はしょりすぎだろ?」って思うだろうし、知らない人からすれば「へー」って感じかもしれない。
でもね、僕にとっては一番の感謝の人だし。大ファン。
今の僕は、彼が居なければ、絶対絶対絶対にありえないのです。
ほぼ運命な二人だったと思う。
僕がピッツァを勉強に入った店にセカンドシェフとしていたナカタ。
1か月の研修生としていた僕の最終日。
全員に桑田さんの曲が入ったCDをプレゼントした。
そしてラストまでいた中田を車で送っていったんです。
その時に、独立するときに良ければ声をかけてほしいと、言われた。
僕と中田はその薄い関係だったけど、何だかちょうどいい空気だったのかもしれない。
29歳の僕と27歳の中田でオープンしたオケイ。
愛情深い料理を出す中田。僕はとにかく人を楽しませることだけに集中。
二人で話し合っていたのは
「楽しい空気でもいいお店を作ろう」
僕らが見たクラシカルな飲食の世界は、ちょっと歪んでいた。
怖い先輩やオーナーがいて、キッチンとフロアがいがみ合って。。。
そんなんじゃなくて、なんか楽しいけど、辛いけど、楽しい感じでやれるんじゃないかって。もちろんけんかとか、納得いかないことは沢山ある。
でも言い合えばいいし。トラブルも課題と思えばいい。そんな夢だった。
中田と僕は全く違う人間。
それでも二人が若かったこととサザンが好きだったことで、調整できた仲だった気がする。どちらかというと中田が我慢していたのかな笑
ストレスもあっただろうけど、なんか仲間とも仲良くしてくれたな。
ふと思い出すのはキッチンの壁。
そこには白い紙が貼ってあった。
そこに僕の知り合いが来たら名前を聞いて書いて、趣味や話した内容などを書いていた中田。僕の知り合いが多すぎて覚えられなかったと言っていた。
でも、当時のお通しがオリーブ。オリーブが嫌いな代理店の先輩 朝比奈さんが来た時に、そっとゴルゴンゾーラをお通しとして出してくれた中田。
その壁のメモにはオリーブ×と書いてあった。
朝比奈さんは本当に喜んでいた。
「片寄。これがサービスだよな。ありがとう」
僕の指示だと思った先輩。
本当に嬉しかったな。
中田の話を書いたら何万字にもなってしまいそうだな・
誰しも、恩師や最愛の人っているはず。
僕にとって中田洋平は世界で一番大事な人の一人です。
もちろん家族は一番かもしれないけど、それと一緒くらい大事です。
そしてスーパースター。
そんな彼からの野菜。
味わって食べていく。
今後、オケイヤでの野菜の一部は中田の野菜になりますよ



