今日は実母の誕生日。
いつも現金支給でギフトは終わり笑
あ、本人の希望です。いつも面白い話ばかり書いているから、たまにはちゃんとしたこと書いておこうかなと思います。
細かくは書きませんが(書くと悪口なるから笑)、父母は離婚し、父は3度結婚し、母は2度結婚。
僕は父と一緒に居たかったから、父と暮らしたが、問題が発生し、高1くらいから母と暮らした。
まー箇条書きしたら、本当にネガティブなことしかないので書きません。
ただ、母とのいい思い出もあります。
沢山キャッチボールを一緒にしてくれたな。
僕が球技大会でソフトボール大会に出たら、当時阪神タイガースが強かったからその格好で大応援笑
周りは引いていたが、今思えば嬉しかったかな。
車で買い物に行き、小動物を見てくるのが好きだった。
いろんな動物を飼っていたなー。自分がお世話をしている気分だったが、おそらく裏では全て母や父がやっていたんだろう。好奇心だけで実行力はなかった気がするから。
あのいでたちなので、友人たちからはとても人気があった。
今でも久しぶりに会う友人がいたら、必ず「お母さん元気?」って聞かれる。
まー実の子供としては恥ずかして一緒にいるのが嫌だったけど。
僕は顔がそっくり。父は勤勉でしっかりしている人。そう考えると残念ながら、顔や性格を考えても、僕は完全に母よりの遺伝子を受け継いでしまっている笑
今でもいつも何かあると手紙をくれる母。
僕には子供がいないからわからないけど、母とはずっと子供を子供としてみているのだろう。50歳になる自分でも母の子であることは、間違いのない事実のようだ。
50年、子供でいるということってどういうことなのか、ちょっとわからない。
切っても切れない関係である父母との関係。
現実的には努力してキレなくしていると思う。やっぱり大人になれば、切ろうと思えば切れるわけだから。切りたくないから切らないのだと思う。
母を許せない期間もありましたが、僕が切らなかったということが全て。
やっぱり母は母として自分に必要だったのだろう。
今、お店を持ち20年が経つとき。
お店を出すときに、もう亡くなってしまった母の旦那さんである七沢さんが200万お金を工面してくれた。
今思えば、そのことをしっかりと感謝を伝えたことはなかったかもしれない。
もちろん言葉では伝えていたけども、少しまだ遺恨があったりして、あまりキモチが乗ってなかっただろうなって。
申し訳ないな。
実際、七沢さんと母は30年以上、色々ありながら寄り添ってまさに二人三脚で歩いてきた人たち。七沢さんが居たから母は幸せに暮らしたのだろうし。
もちろん、僕らの家族的には色々ありました。
でも、母の誕生日に思うことは、七沢さんへの感謝だったな。今。
僕は良いことをブラシュアップして記憶し、嫌だったことを忘れてしまう能力があるんです。これは僕のいい所だと思っている。
だから、母のことで嫌なことを沢山覚えているけども、感情を忘れている。
だから箇条書きを書くことはできるけど、嫌だった感情などは忘れてしまっている。
たまに、母が亡くなったら、盛大なパーティでもやろうかって母と話します。
暗い日にはしなくていいよねって。
赤とカピンクとか着てきてよって。
それでもやっぱり泣くのかもしれないね、息子としてはね。









