OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

フェス画像

母の誕生日

今日は実母の誕生日。

いつも現金支給でギフトは終わり笑

あ、本人の希望です。いつも面白い話ばかり書いているから、たまにはちゃんとしたこと書いておこうかなと思います。

細かくは書きませんが(書くと悪口なるから笑)、父母は離婚し、父は3度結婚し、母は2度結婚。

僕は父と一緒に居たかったから、父と暮らしたが、問題が発生し、高1くらいから母と暮らした。

まー箇条書きしたら、本当にネガティブなことしかないので書きません。

ただ、母とのいい思い出もあります。

沢山キャッチボールを一緒にしてくれたな。

僕が球技大会でソフトボール大会に出たら、当時阪神タイガースが強かったからその格好で大応援笑

周りは引いていたが、今思えば嬉しかったかな。

車で買い物に行き、小動物を見てくるのが好きだった。

いろんな動物を飼っていたなー。自分がお世話をしている気分だったが、おそらく裏では全て母や父がやっていたんだろう。好奇心だけで実行力はなかった気がするから。

あのいでたちなので、友人たちからはとても人気があった。

今でも久しぶりに会う友人がいたら、必ず「お母さん元気?」って聞かれる。

まー実の子供としては恥ずかして一緒にいるのが嫌だったけど。

僕は顔がそっくり。父は勤勉でしっかりしている人。そう考えると残念ながら、顔や性格を考えても、僕は完全に母よりの遺伝子を受け継いでしまっている笑

今でもいつも何かあると手紙をくれる母。

僕には子供がいないからわからないけど、母とはずっと子供を子供としてみているのだろう。50歳になる自分でも母の子であることは、間違いのない事実のようだ。

50年、子供でいるということってどういうことなのか、ちょっとわからない。

切っても切れない関係である父母との関係。

現実的には努力してキレなくしていると思う。やっぱり大人になれば、切ろうと思えば切れるわけだから。切りたくないから切らないのだと思う。

母を許せない期間もありましたが、僕が切らなかったということが全て。

やっぱり母は母として自分に必要だったのだろう。

今、お店を持ち20年が経つとき。

お店を出すときに、もう亡くなってしまった母の旦那さんである七沢さんが200万お金を工面してくれた。

今思えば、そのことをしっかりと感謝を伝えたことはなかったかもしれない。

もちろん言葉では伝えていたけども、少しまだ遺恨があったりして、あまりキモチが乗ってなかっただろうなって。

申し訳ないな。

実際、七沢さんと母は30年以上、色々ありながら寄り添ってまさに二人三脚で歩いてきた人たち。七沢さんが居たから母は幸せに暮らしたのだろうし。

もちろん、僕らの家族的には色々ありました。

でも、母の誕生日に思うことは、七沢さんへの感謝だったな。今。

僕は良いことをブラシュアップして記憶し、嫌だったことを忘れてしまう能力があるんです。これは僕のいい所だと思っている。

だから、母のことで嫌なことを沢山覚えているけども、感情を忘れている。

だから箇条書きを書くことはできるけど、嫌だった感情などは忘れてしまっている。

たまに、母が亡くなったら、盛大なパーティでもやろうかって母と話します。

暗い日にはしなくていいよねって。

赤とカピンクとか着てきてよって。

それでもやっぱり泣くのかもしれないね、息子としてはね。