「携帯がない時代に生まれたかった」
先日、スタッフと賄いを食べているときにふとそんな話になっていた。
ま、キッカケは出会いや待ち合わせの仕方だったんです。それこそ、駅にあった連絡版とかを使っていたよーとか。
家の電話で友達や彼氏彼女と電話して親に怒られていたり。
どうやって待ち合わせってするんですか?
そんな質問が出るとびっくりしちゃいますよね。
でも、確かに今生まれていたら、携帯なかったらマジで困りそう。
僕はサラリーマンになってから携帯を持った。大学時代は持ってなかった。周りは持っている人もいたが持っていない人もいた、ポケベルもそんな感じ。
ポケベルも持ってなかったな。
スタッフの女子は口をそろえて「今の彼氏彼女がいる人の連絡の頻度が多すぎる」みたいな話をしていた。
確かにLINEがあるからいつでも連絡できちゃうもんね。
以前は連絡が出来ないから、家の電話に勇気を出して電話をして、お父さんとかが出てしまって、気まずい感じだったりもした。
でもその壁を乗り越えて付き合ったり、待ち合わせをしたり。
あらかじめ待ち合わせ場所を確認しに行ったり。
各名所みたいな場所は待ち合わせで溢れていたような気がする。
便利になったはずが、追われているような支配されているような感じなのかな。
確かに便利になったはずなのに、やらなきゃいけなことは増えている気がする。
1つの話に集中していないのか、何度も確認できちゃうからなのか、物事を進められない感じの人もいるような気がする。
情報に溢れ、携帯があれば海外旅行の予約すらできる。
入らなきゃわからないドキドキ感は薄れ、お店の情報はネットに溢れている。
ヒトとの出会いは出会い系アプリが普通になり、ゼロから出会う場所はなくなっていく。仕事をし始めて、はじめてコミュニケーションの大切さを知りつつ、リモートを求めればそれすら出来なくても仕事がある。
人としての厚みや熱いキモチはどこにいくのだろうか。
こんなに便利な携帯がない時代が羨ましいという言葉は、今の自分たちの鏡だと思う。
今、オケイというお店を20年続けている中でスタッフは沢山入退社している。
18人くらいが独立し、20店舗ほどある独立店舗。
そこには沢山のお客様が溢れているだろう。
そのすべてとは言えないけど、出来るだけの出会いを大事にしてきた。
中にはけんかして仲直りしたり、音信不通の人もいるけど、気にはなっている。
全てがうまくいくわけもなく、やはり難しい人間関係の渦。
でも、逃げずに常に腹をくくってきた。
今、オケイという会社にいる正社員は25名、アルバイトは10名ほど。
その家族や関係する方々を幸せに出来るかどうか。
携帯の中にある何かではなく、僕という生身の体で何が出来るのか。
生みだしていくしかない信頼関係と絆。
そんな青春みたいなコトをまだまだ信じているのは、そうやって仲間に大切にしてもらって生きてきたから。ただただ、その感謝でしかない。
優しさの塊の大先輩たちに育てられた自分、腐れ縁の友人、オケイを出してから仲間になった人たち。
全ての優しさをスタッフに返していくしか、ないですよね。

