昨日母が来て、古い昔の封書を持ってきてくれて。
亡くなってしまった祖父からの21年前に送られた封書で、中には便せんに書かれた手紙とその頃に撮影された僕と祖父の写真だった。
懐かしい祖父の字を見ることが出来て、何だか温かい気持ちになるとともに、悲しくはないのに涙が出て来た。止まらないっていうよりは、自然にスーッと出てくる現象のような涙だった。
その手紙は、2通。
1つは僕が電通の面接に落ちた後に書かれたもの。
気持ちを切り替えて、次に進むんだという激励と、これからの自分をよく考えていくようにという教えだった。そして、人生にはこういう挫折やうまくいかないことがこれからたくさんある。これを乗り越えるということも、良い試練で経験だから、自分のものにしていくようにと書かれていた。
祖父は野球マンだったので、僕がサッカーをしていたことでスポーツを通じた話をしてくれることが多かった。手紙にもスポーツマンシップというコトバが何度かあり、色々ソフトの会話を思い出せた。
2つ目は協同広告という広告代理店に初めて面接に行く前に書かれたものだった。のちに入社した会社。きちんとした格好で、返事はハッキリと、わからないことはハッキリわからないと答える。嘘はつかず、まっすぐに向き合うこと。
自分自身を信じ、曲げることなく。真摯に向き合い、誠実な自分をの祖ママ出せばいいからと激励だった。
僕自身をいつも褒めてくれた祖父。怒られたこともあるけど。それには愛情しかなく、何も反抗することはなかった。
ブログを書いていても悲しくない涙が出てくる笑
20年以上前に書かれた手紙は万年筆だった。見たことがあるあの万年筆だろう。
そして紙は少し和紙の厚いような感じ。手触りが良く少し新聞紙のような香りがした。
まっすぐで気持ちが乗った字ってわかりますよね。
こんなおじいちゃんになりたいな。
亡くなる前にもっと感謝したかった。いやしたつもりでいた。でも理解が足りなかった。やはり若い自分には全くわかってなかった部分。
それでもこの手紙があるから、50歳になる自分に理解できることがある。
紙焼きされた写真というものにも価値があると改めて分かった。
携帯に入っている文章や写真とは全く違うもの。やっぱりそうなんだって。
LINEだけじゃだめなんです。だってそれは今の僕の気持ちには絶対なれないから20年以上前に戻れることが出来ても、この手の感触はない。
五感というものを備わっている僕たち人間。
使わずに生きて、亡くなってしまうなんてあまりにももったいない。
今の便利な時代に残すべきこの感覚という、誰しも持っているもの。
この感覚を大事に出来る人生を送ることを決めた。
いや、決めていたけど、もっと決めた。
今、これを見ることが出来て世界で一番幸せな自分だって言い切れる。
まだまだ躍動感が残っていた祖父が協同広告をやめる決断をした僕に言った言葉を思い出した。
《たけひろくん、社員を大事にできるか?守れるか?社長になるんだからね》
まだ、独立前で、しかも代理店をやめる決断をしただけの僕に、そう言ってくれた人。
今の僕に向けて、祖父は言っていたんだ。
どんなに修業がつらくても独立がどんなに大変でも、続けることがどれだけ苦しくても、それをやるって信じてくれていたような言葉。
そして20年後にこの手紙を見て、これを思い出して、今のスタッフを大事にできるのか?って言っていたんだね。
もっと大事にするよ。







