OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

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ゼロイチ

協同広告という会社にいた時代は7年間。

それでも沢山の仕事が出来ていたと思う。昨日、ふとスタッフが飲んでいる栄養ドリンク、チョコラBBローヤル。

懐かしかった。自分が最後に作ったCMだし、その商品のメイン担当としてクライアントさんや製作スタッフともガッツリ関わらせてもらった商品。

パッケージも一緒に作ったし、ローソンを掛け回ったこともある笑

あの頃、僕は既存の大きなクライアントを担当していた。

売上を増やすというよりは守るという意識が強かったように思う。クライアントさんとのかかわりが深く、時には家族や仲間のような関係を築いていた。

仕事としてもそうだが、プライベートでも仲良くなっていたクライアントさんたち。今でもSNSとカでは繋がっているので気になっている。たまには連絡してみようっと。

ちょっと奥の方の営業部では、新規開発をしている人たちがいた。

毎日プレゼンの準備で遅くまでいた印象。新規を獲得して社長賞をもらっていたのを見てすごいなーって拍手していた記憶がある。

でも、その時にふと寂しくなった感覚。

自分は守りのスタンスというか、歴史あるクライアントを守っていく営業だから、何というか社長賞はもらえないんだなって。

そんな話で同期や後輩と飲んだこともあったような。

守るっていう仕事の大切さと大変さも理解してもらいたいよなって。

だからこそ、今の自分があるような気がする。

お店ごとに今の立ち位置が違う。だからそこをしっかり評価出来たりしないといけない。そこはすごく気にしているところ。

ただ、あの社長賞のことは若い時に感じた違和感は今は無い。

やっぱりゼロをイチにするって大変だから。

ハゲルくらい考えて、やみくもでもブルドーザーのように進めていかないといけないから。だから、社長賞だったんだって。

守っている僕らをぞんざいに扱っていたんじゃなくて、やっぱりゼロイチを生みだせる人の価値は計り知れないということだったんだって。

店を出すのもそうだし、企画や文化を作るのもそう。

オケイだったら、休暇制度を考えてつくった自分。

もちろん粗削りだし、行き届かない所もある。

でも完璧になるまでスタートしなかったら、今は無いしね。

自分がゼロイチを作りまくり、それを使って躍動してくれるスタッフ。

お店に対してもワインや規則に対しても、自分がまず考えていかないと何も始まらない。

そんな自分はあの頃の新規開発部門と既存クライアント担当など全部やっている感じか。

そう思うと社会人になって30年くらいで少し成長しているのかな。

やっぱり場数ですよね、場数。

やったことあることは出来るから。

あとどのくらいかかるとか、緊張感とかわかる。

準備する感じもわかるし。

できっこないをやらなくちゃって。

やったことないことやってみなきゃって。

楽しんで生きていくことを続けていきたいね