OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

フェス画像

何度も描いたような話。

人のお世話にならぬよう

人のお世話のできるよう

これは何度も書いてきた言葉だが精華小学校の校訓。母校です。

この言葉を6歳から聞いて、毎日毎日唱えて過ごした。

記念品にもらった花瓶はいつもそばにある。今は新橋のオケイヤだ。

先日、OKEI ROCK FESTIVALでのカメラマンをお願いしている小学校の同級生イケシと打ち合わせ。話が早い。やはり6歳から一緒。44年来の友達笑

他愛もない話をしつつも、当日任せることの理解を深めた。

ずっとベタベタ一緒にいるわけじゃないが、信頼ある人がいるのは頼もしい。

そういえば、小学校からの友人として何人か来てくれているからビックリではあり。何せ40年以上前だからね。お互いまずは生きていることが奇跡。

そして、昨日はサラリーマン時代の先輩方夫婦が集まり、昔話に花が咲いた。

僕は忙しかったのであまり話せなかったけど、空気感はわかる。

オケイというお店をオープンする際にお金を貸してくれた方も2人いた。

いったいどんな思いで貸してくれたのかな、返ってこない可能性が高かったんだから。博打にもほどがある。

そして何よりも、返済前も1年で返済後も何も求めてこない。当たり前という人もいるだろうが、その話すらしない。

「貸してやった感」は全くない。。

「支えてやった感」も全くない。

そういう方々におんぶにだっこで生きてきた甘えん坊な自分。

人に許されて生きてきたんだろう。

どんな馬鹿をやっても。今でもそういう弱さや楽観がぬぐえてないかも。

だからこそ、誰かに何かをしてあげたい!と思ったら糸目が少ない。

少ないと書いたのは、ないわけではないから。

それでも協力してあげたいと思うキモチがあるなら全力で注いでいる。

それが付き合いが少なかろうが多かろうが、大きな問題ではない。

そこに心が宿り合っていれば。

先輩方に与えられている愛情への感謝を込めて生きているのが自分。

先輩方への感謝を忘れず、その感謝を仲間に注ぐスタイル。

これが小学校の校訓の意味なんじゃないかと。

人のお世話にならないことは絶対ないから

せめて、人のお世話を出来るようになろう

要するに誰かに何かを与えられたら、その人だけではなく、

シェアしていくようなイメージ。

以前も紹介した映画ペイフォワードと一緒の事なんだよね

 

ペイ・フォワード(字幕版)

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誰かに支えらえたり、してもらうことが無数にあるから。

その温かい気持ちをちゃんとシェアしていけば、必ず役にも立てるはずだよね。

僕の始まりはやっぱりそういったアルバイト先の社長とか会社の先輩とか、そういった無償の愛情なのかなって。

利益を求めず、ただ注げる人が周りにいてくれたから

今があるんだと思う。

長野修業時代 かなり太ってる笑