そういえば、あまり書いてないことがありました。
12月9日でお店がオープンして丸20年。
僕を含め、働いてくれたアルバイト社員合せて150人ほど。
沢山の人がオケイを見つけてくれて、働いてくれました。
先日も、オケイブルワリーが出店している中目黒に真奈美が来てくれたとスタッフに聞いて嬉しかった。こうして辞めても独立しても関わってくれる人たちがいるってだけで人生豊かに生きています。
その中で、オケイで働いて18年という石丸のことを僕はあまり書いてないかもな?と思うので。たまには書いておこうかなと笑
石丸は初代シェフ中田の友人として入社しました。
「京都に東京で働く気がある友達がいる」
そんな話から始まった気がします。中田の結婚式で初めて会いました。
東京に来たいというキモチが強かったような気がします。オケイにくるってよりは。
そしていざ東京に来る!ってときに、すぐにオケイで働けなかったんです。その瞬間は人が要らなくて。話し合い、三宿に出来た当時のサボイに入りました。サボイといってもそこはピッツァだけじゃなくて他の料理があったのでキッチンとして。
2か月とか、3カ月くらいして、連絡とったら「あのーシェフになっちゃいそうでやめられなくなるとまずいんですが。。・」と。
そりゃまずいってことで入社しました。
まだ1店舗の時代でした。そこから2店舗目が1年くらいで出来て、3店舗目が出来てと数年の間に目まぐるしく動いていた印象です。
実は石丸は5年で退社予定でした。子供が小学校に上がるタイミングで愛媛に帰る予定だったのです。その時になって色々考えていた時、東京オリンピックを子供に見せたいとか考えて、東京、オケイに残る決断に至りました。
レストランイシマルというレストランテを出したこともあります。2年ほどで潰れてしまいました笑
最初で最後の高級店舗を運営してみたのですが、当時の能力では無理でした。
ま、とにかく18年もいると何日でも書けるくらいの出来事がありました。また書いてみようと今思いました笑
本当に感謝しているよ、石丸。
今では大して話さなくてもだいたいわかるから、あまり話しません笑
でもお願いしたら、だいたい「わかりました」と言ってくれる人。
不器用で正直お客様と話すのは未だに苦手だし、スタッフの管理という仕事はあまり向いてないかも笑 でも、やっぱり料理をしている姿や考え方は惹きつける。
どんなにお客様が来ても対応できるほどスピーディに正確に提供できる人。
彼が居たからピンチの時も乗り切れたし、18年という歳月を同じ会社でしかも僕なんかと過ごしてくれたことを何よりも感謝したいと思う。
石丸に「何でオケイにずっと飽きずに居たんだろうね?」って聞いたんです。
そしたら石丸がこう言いました
「片寄さんが色んなことをやるから自分が出来ないこと、思いつかないことがドンドン降ってきたからじゃないですかね、飽きなかったから」
僕のやりたいことを具現化していくという仕事を超前向きに考えていたということかな。いやはや、すごすぎる。
いつかレストランテイシマルをまた作ってあげたいという夢も今芽生えましたよ。



