OKEI GROUP OWNER 片寄雄啓《コトバノチカラ》

神奈川大学法学部出身。広告代理店《協同広告》で営業として6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。1年半の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。現在、Pizzeria Terzo okei、Viva okei、OKEI BREWERY、Atelier de terrine maison okei、オケタプ 、ビストロオケイヤの6店舗経営。飲食店経営、カズ、サザン、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います。

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スガシカオの教え

あんまりお金の話ってしづらいじゃないですか。飲食は特に企業間取引ではなく、お客様とのやり取りが生業なので、儲かってる!とか余力がある!っていうのがなぜだか、悪いイメージになりますね。、

昨日、そんなぶっちゃけ話をパラディーゾの久野さん(社長)と雑談する会を3時間くらいみっちりしてました。今回は僕が話すことが多い日だったんですが、話していて何だか、色々思い出したり、頭が整理されていい時間でしたね。

久野さんとの馴れ初め?はまた書きますね。意外と長いので笑

話を戻そう。

20年前にピッツァを習得しようと思った時、キッチンに入って働きながら学ぶ方法ではなく、「お金」払って教えてもらうことを選んだ。

当時そういう学校はなく、今みたいにスマホ検索でいろんな情報があるわけではなかった。自分でどうやったらピッツァを「最短で」学べるか。それが重要だった。

28歳で脱サラし、30歳までに独立をすると決めていた。残り8か月という段階でピッツァに出会い、時間がなかったのが主な理由。ただ、それ以上に未経験ですぐにピッツァを焼けるようになるなんて、普通は難しいことは明らかだった。

だから、歩いて探したり、有名なピッツェリアに連絡したり。色々ダメ元で動いているときに出会ったのが当時池尻大橋にあったピッツェリアだった。

アカデミーというプランがあり、積極的にコーチングシステムがあった。1か月が基本で延長可。30万円くらいの費用を払い、21時前から朝6時くらいまで。その間は通常のお店の仕事を手伝いながら、ピッツァを教えてもらい、営業終わりに延ばし・焼きの練習と生地の仕込みのトレーニング。

僕はこの経験を「お金」で買ったのだ。もちろんそれだけでは経験不足なんですが、その後、数か月別なお店でピッツァを焼き、独立した。

ブルワリーをやるときも、フェイスブック広告で流れてきた「半年でビールが作れる!」って広告をクリックして今に至る笑 コンサル200万、ビール工場での研修1か月が100万。事業再構築補助金を含めて、助成金を申請するときには、だいたいコンサルを入れている。だいたい15%くらいの手数料かな。

と、まあ、「お金」を使って「何か」を得ていることを書き出したらきりがない気がする。その根底にはスガシカオがいる。

ピッツァを習っているとき車で通っていた。その際にラジオからスガシカオの番組が流れてきていた。大学生リスナーから「やりたいことがないのですが、何をしたらいいでしょうか?」という質問に対して彼はこう答えていた。

【とにかくアルバイトでもしてお金を貯めてください。やりたいことが出来た時にやれるから】

同じく脱サラのスガシカオ。退職金か貯金を全部使い、機材を購入。出来たのが夜空ノムコウ。だから、お金があれば夢を叶えるスタートは切れんだということを熱弁していた。確かにそうだなって思っている。

貯金をはたいてピッツァ研修を受けたから今がある。美味しいピッツァを焼くっていうのはまたそこからの修業というか努力が必要だと思う。でもスタートは出来た。

コロナで飲食をあきらめ、ビール製造に着手すると決めたけど、ビール業界に知り合いもいない。そんな中でトライできたのは14年間でプールしていたお金があったから。

いずれも先駆者たちが血のにじむような思いで過ごした「経験」の導入部分をショートカットしてスタートできたということ。

あくまで導入部分であるというのが味噌であるけど、夢を叶えるために、やりたいことをやるために。それが訪れるまでの間にお金を用意できることは重要だなと思う。

そして、夢を叶えようとするときにそれがあるなら、躊躇なく注ぐ勇気。お金の使い方は人それぞれだが、未経験からやることばかりの自分には、この勇気がなければ先に進まない事ばかり。逆に未経験でも、誰でもトライできる可能性はある世の中であることは、僕が証明している!

お金ってドライなイメージがありますが、とっても温かいものって本気で強く言いたくて書いときました!

写真は関係ないけど初代シェフ中田の送別会でのライブ。

当時はアーティストを呼ぶとかなんて出来ないし、想いもしてなかった。だから毎年周年パーティで歌って踊ってた笑

慣れない楽器を使ったり歌ったり。それでも聞いているオーディエンスは数百人って笑えます。

初代シェフ中田の送別会でのライブ