独立する前には長野・信濃町に住んで市内でオープンする知り合いのお店でお勉強させてもらっていました。

住み込みで4ヶ月くらいだったかな。
朝7時くらいには信濃町を皆で出て、帰るのは23時過ぎ。寝るのは3時とか。
お店で寝たことも多かったかな。
僕は初めて一人でピッツァを焼くというタイミング。正直、今思えば最適なものが焼けていたのかどうかはわからないけど、度胸はついたかもしれない。
一生懸命毎日毎日悩み苦しむってことが結果になるって信じて過ごしていた。
もちろん何にも結果にならないことがほとんどだけど笑
生地を練るってことも自分一人でやったのは初めて。決められた分数を回して練る。季節により状態は変化していくのだが、その当時はただただ決められたやり方をやっていたような気がする。
それでもまだ長野にピッツェリアというものが少なかったことで沢山のお客様に食べて頂いて嬉しかったし勉強になったな。

当時の写真を見返しているとふてぶてしいというか生意気そうな自分。
多分色々考えていたんだと思う。自分への不安と期待。そして東京との往復で物件探し。こうして修業しながらも、不完全であっても独立する期日は決めていた。だから新幹線やバスでの往復をしていろんな場所を見に行っていた。
シェフの朝賀さんは代官山のお店で一緒に働いていて「オープンするから手伝って」と言われてすぐに行った。
彼のお料理は好きだったし、すぐに行動するとかチャレンジするってことしか出来ることはない!って思っていたから。
ただ期間は何も言われていなかったから勝手に1週間くらいと思ったら数か月笑
朝賀家族との日々はとても楽しく愛情深い、まさに飲食業を学んだ日々。
僕以外はほぼ家族ってことで言い争いや一緒に住んでいるからずっと仕事だったり、生々しい風景。それも今となってはいい経験で楽しかった。
休みもなく、働いていたっけ。つかの間の休みは長野を案内してくれたり気を使っていただいていたなって思います。
ご両親にはいつも感謝されていた。毎日毎日ありがとうって言われて、妹さんからもずっとずっと。なんか長野の思い出ってみんなにありがとうって言われ続けたことしかないんです。
そんな修行あります?修行じゃないですよね。
お手伝いに行って給与も頂いているのにありがとうって言われるってね。

代理店の時の先輩もお手伝いに来たりしていた。なんか応援しよう!みたいな盛り上がりで。
あまり疑問を持ちすぎないように努力していた。
【なんでこうなんだろう?】
【この方が良いんじゃないか?】
経験もないのに、そんな主観に邪魔されて、前に進めなかったり、躍動感を失うのは最悪だったから。やらなきゃいけないことを必ずやる。
それが全てだったかな。
自分の尺度は合ってるかはわからない。
今でもわからない。
ただ、当時と違うのは自分の店があること。だからどこかでは英断が必要。
全世界から称賛されることは求められないから。
だから、自分で決めた事を良い方向に進めていく覚悟。
逆に自分の店でないなら、働く環境に合わせる能力を身につけていく期間も必要。
自分の欲求を満たす場所ではないから。
その中で敬いや気づき、感謝の響きに満たされ、愛情深く過ごせるためにどうするか。
自分次第。
長野での生活は人生を変えてくれた。
独立まで不安がいっぱいの僕を後押ししてくれた期間。
29歳の自分がそこで頑張って生きたって事実。
20周年は、自分の力じゃないね。
チャレンジさせてくれた方々のおかげであり、そこにくらい付けた自分がいたからか。
