今、僕と知り合った人は経営者としてみているだろう。
昔から知っている人は賑やかな奴くらいかな。特に昔からど真ん中にいたわけではなく、少しずつ仲間に持ち上げられて、押すなよ・押すよ的に今の雰囲気になった気がする。
特にコロナ禍から一気に経営者の空気が増したと思う。それは現場にいない日が増えたから。当時はとにかく乗り切る仕事をしていたから、もうとにかく毎日毎日違うことを考えて調べて区役所や税務署など手続きに追われていたっけ。
沢山の人が退社し入社した。独立したオアジのふーみんには【大丈夫ですか。オケイさん。スタッフのために無理しすぎじゃないですか】とすごい心配してもらった。
他にもたくさんの人に、トライしすぎ!と見放されていたかもしれない。
なんか止められなかったんだよね、自分が。コロナというものがとても怖くて。せっかく自分が積み上げてきた1センチくらいの石。その石を全く関係ない知らないやつにぐちゃくぎゃにされた感じがたまらなく嫌で。
だから自分の手で積み上げてきたお店をまた作りたいというか。負けたくないというか。そして何よりも目の前にいるスタッフを少なくても迷わせたくないという想い。
他の会社にいくのはいいのだが、オケイにいるのに生活できないとかは耐えられないので。たぶんそうなりそうならば、一気に閉店させたと思う。
だったらやっている意味もないから。だって、僕は一人じゃできないから。仲間とやりたいだけだから。
そういう作業をしている中で、現場にいない店が増えていった。これはお店を始めたころでは考えられない事であり、【そうはなりたくない】とも思っていたかもしれない。
自分がいつも1つの場所にいてそこに会いに来てくれて、美味しいご飯とワインを提供。それがしたい事だったから。それが少しずつ変わった。
8年目から少しずつ【これではダメだ】と思ってきた。ダメではないのだが、しっくりこなかったというべきか。自分がチャレンジしている他業態の店舗展開や独立支援。それと合ってないのだ、その1つにずっといたいという考えが。
少しずつ現場から離れていく努力をすることにした。【少しずつ】が重要で自分のやりたい事とは違うので自分にもストレスがかからないように、そしてスタッフとも共存しつつ。そんなイメージ。人件費過多にもなったし、うまくいかないこともあった。そうしてトラブルが沢山あってコロナになった。
そこでチャンスが来たのがコロナ。【現場だけにいたら潰れてしまう】ほどの手続きや考え方の変化を求められた。そこからグググっと社長業へのシフトを強行していた。
20周年までには現場に出なくても会社が回るように。。。
そんなイメージを持っていて去年骨折し、今膝が爆発している。
そこでまたチャンスというか、スタッフへの頼り方が半端なくなった。そこには信頼関係があるからできるのだろう。得手不得手を何となく把握出来たり、思い切って任せられたり。そんな空気が会社のLINEからもわかる。
もちろん、僕は現場が好きだから出たい。でもスタッフが生き生きと働く姿は同じように好きだ。そこには当然イタミもある。仕事を増やせば辛いし、疲れるかもしれないし、管理する人は人のことで悩む。ハゲルかもしれない笑
でも仕事をするって楽しいって仕事が辛い時にはわからない。年齢が上がっていくと必要性とか自分よりもできる人が増えてきたり。そんなときにやっぱり管理できない人って仕事なくなると思うのです。40歳越えて、若い子たちのモチベーションを上げられない人ってやばいですよね。だから、結局独立してようがサラリーマンであろうが、上に立つ努力はしないと。それが経営者ならば、自分が居なくてもいい環境づくりはトライしないと。もちろん、やりたいことをやるのもいいし、それが続けられるかもしれない。それでも今の僕のように動けなくなってしまうかもしれない。その時にスタッフを守れないじゃないですか。だから自分がやる!って決めていても、誰かと一緒にやっていくとか、そういうトライはしていかないといけないと思っています。
いっぱい来てくれたパーティ。そこにはもちろんいろんな人間模様があります。真ん中にいるビバの岩瀬はたぶんすごい楽しかったと思う。こういう店を体験できることが奇跡だと感じてくれる人だから。その後ろにいるのがノイ。現目黒の名店のTRUNKの統括シェフであり、オケイの卒業生。彼の表情は意味深い。たぶん、思い出したんじゃないかな。あの頃を。まだこんなことやっているんだって。そんなバカな経営者も体感してもらって。自分なりにお店に立っていけばいいのだよね。
踏み台になりたいって言ったらどんだけMッ気あるんだって笑